【DA】リーンエスの耳

レイウェスト・バルダス
父、ヨゼフ・バルダスとの会談はこのような顛末であった。しかし、アシムベート殿とヨゼフの間にそのような約定があったとは。……帝国には私が知らぬことが、まだまだあるのであろうな。
●
1222年、夏。月明かりが柔らかく落ちる暗夜であった。森の奥、開けた場所に、男――現シルトラース帝国皇帝、ヨゼフ・バルダスは独り立っていた。装いは戦場のそれ。征竜の頭骨から削り出した鎧具を纏い、長柄の得物も持つ。戦具はある。しかし、殺気や敵意は感じず、対峙するレイウェスト・バルダスはさらに一歩、足を進めた。
「お早い到着ですね、父上」
「会談という言葉を易く信じるわけもない。これくらいはする」
暗闘渦巻く皇位継承を勝ち抜いたヨゼフらしい一言だった。暗殺への警戒を隠しもしない皇帝と皇子の間には、張り詰めた緊張が横たわる。レイウェストに同道していた冒険者たちが即応の構えを崩さずにいると、皇帝はレイウェストの周囲に立つ冒険者たちを睥睨した。
「それは貴様も同じだろう」
「いえ。それは違います。父上は暗殺を恐れていたかもしれませんが、私は立ち会いを求めて彼らに同道してもらいました」
そう返すと、ヨゼフは興味を失したようにレイウェストを見やる。心の裡を見透かすような視線を、レイウェストは毅然と見つめ返した。
想起されるのは、これまでの道筋。そして、この日冒険者たちと交わした会話。故に。
「皇帝、ヨゼフ・バルダス」
レイウェストは、先手を取ることにした。
「今此処に、シルトラース帝国皇家の正統たる後継としてレイウェスト・バルダスが貴方の資質と真意を問う。民の足場を崩そうとする貴方の非道は、以て帝国に牙を向けるものに他ならぬ」
レイウェストはそこで、薄く笑みを浮かべた。
「私は此処まで民を護り、その暮らしを建て直してきた。而して貴方はどうだ。貴方の道は、果たして始祖たるイェーラウの御心に適うものか」
――ヨゼフの意図を詳らかにすること。
それが、この会談の目的だった。冒険者たちが言うように、共闘の道があるのならば良し。その足がかりも得られないとしても、この会談自体に価値を見出す。
「貴方の幻想に、私たちが付き従うに足る利はあるのか」
「……貴様が皇族として一定の価値を示したことは認めよう。しかし、あの蜥蜴に与した恥さらしが我ら帝国の国是を問うとはな。どうやら、王国の元で働くにつれ、道化としても長じたと見える」
「……征竜が我らを襲わぬのであれば、それもまた国是に適うものとなりましょう。況してや、この国難に助力を得られる可能性があるのであれば、その是非を、貴方に揶揄される謂れもない。尤も」
そこでひとつ、区切りを置く。
「貴方には今、敵が多い。征竜への盾を謳うには、力不足と言わざるをえないでしょう」
「……」
皇帝の沈黙を、催促と理解して。レイウェストは続ける。
「貴方から帝国を奪い去った母上とエフレム。敵国であるリーンエス王国。そして征竜。……あるいは世界樹も含みましょうか。これだけの敵に、貴方独りでは立ち向かうことができない。如何に火生の神の力を収奪せしめたといっても、貴方はまだ、それらに対して明確な敵対行動を取っていないことがその証だ」
ヨゼフの道は、レイウェストの道と大きく異なるものだと言って良い。レイウェストは半ば以上に恭順に近いかたちとはいえ、リーンエス王国と協調し、征竜からは印を頂き、その耳目となっている。結果として、帝国に反目し得る勢力の影響を抑止できている。
対して、ヨゼフのそれは困難極まるものだった。彼と、彼に付き従う勢力だけでは、そのいずれにも敵対者としては手札が足りていない。だから、続けた。
「だが、貴方には2つの味方がいる」
「――ふむ」
ヨゼフはそこで、微かに反応を示した。
「良かろう。冗長な口上に飽きていたが、そこまでは聞いてやる」
「一つは、時間だ。母上たちが大陸に齎す災いを看過すればするだけ、少なくともリーンエス王国は足場を失う。加えて、ことが限界まで及べば、征竜と母上たちが戦う未来も有り得る」
「道理だな」
肯定でも、否定でもない言葉。こちらは尤度の高い、ヨゼフ好みの合理的な戦略として解りやすい推察。
しかし、こちらは賭けだった。
「もう一つは」
ひたと、父を見つめる。
「メドゥの指先だ」
●
「貴様も、そのぐらいの計算はできるか」
返った首肯に、レイウェストの視線に力が籠もる。
――何時から、どの程度という問いを留めることに、レイウェストは力を要した。対峙する者として不明を詳らかにするべき時ではないことくらいは解る。そのぐらいの腹芸はできるようになった。しかしそれは、皇帝の勝算と活動を後押しする要素として不可欠と見ていたもの。
対して、皇帝にとってはどうだろうか。それをレイウェストが知っているからといって、彼の方針は変わるまい。しかし、この場の議論の種にはなる。
「貴方は明確に国民の利益どころか大陸の安寧に反している。それを以て、帝国の元首としての適正を問うのは、当然のことだ」
「……ふむ。たしかに、理に適う」
頷きながらも、皇帝の視線に宿るのは明らかな疑問だった。
「そこまで理解しているのであれば、解っているはずだ。帝国の勝ち筋は余が神殺し、竜殺しを果たし、荒廃した大陸をその力を以て平定する他にないと」
「いえ」
皇帝からの明確な問い。
これにより、レイウェストは初めて対話の手応えを得た。故に、此処は押す。
「他にもある。母上を討ち、征竜と和解し、帝国の罪を購った後、再び帝国の繁栄を目指すのも一つの道だ」
「如何にして王国の干渉を退ける」
「困難であっても、やりようはあるはずだ。しかし――」
「それには余の首が要る」
「その通りだ」
「検討にも値しない愚考だな」
言いながら、しかし、ヨゼフは会談を打ち切ろうとはしなかった。レイウェストの予測では、ヨゼフはここで、レイウェストの言質を取りに来ている。レイウェストの思想と動向は、盤上の予測に役立つから。
――あるいは、それを固めるために、父上はこの場を受け容れたのだろう。
端から、血の通った会話などは望むべくもなかったのだ。
ともあれ、ヨゼフはこう続けた。
「貴様は、先ずあの女を討つ、か」
「……ええ。貴方が、その行く先に利を示せないのであれば、そこに民を付き合わせることはできない。況してや、貴方の行いにより、帝国の負債が更に積み上がるというのならば尚のこと」
「余がそこに介入すると予測した上での言か」
そこで、レイウェストは片手に浮かぶ征竜の紋章に視線を落とした。
「……ええ。歴史を見る限り、征竜が介入する可能性が最も高く、かの竜を討つとしたらその時が好機だ。だからこそ、貴方たちの道に、時間を与えることはできない」
「そうか」
皇帝の言葉は、そこで打ち切られた。聞くべきは聞いた――あるいは、聞かせるべきを聞かせたとも言うべきか。レイウェストは軽く瞑目した後、冒険者たちに対話を促したのだった。
●
「……という結果になったよ」
レイウェスト・バルダスは居並ぶ面々へと告げる。会談を終えて数日後。リブラネスタの会議場には、各国の代表、あるいは首長が集うていた。
「……うーん。ヨゼパパ、ちょっと空気読めなさすぎじゃね?」
「今更じゃないかしら……?」
ドワーフ王、シグルランの顔を顰めながらの言葉は険に満ちているが、キサキ・アカネはそれを留めもしない。どちらかというと同情的な雰囲気で告げる二人に対して、シグモル火山帯から参じたオルグレイの表情は険しいままだった。
「結局のところ、協調を引き出す――というのは、レイウェスト殿下の真意ということでよろしいか?」
「可能であれば、だ。冒険者たちが触れていたように、皇帝が身につけている征竜の鎧が必要になる可能性はある。ただし」
応じたレイウェストはそのまま、グレイオンスに視線を転じた。
「私は、ヨゼフを討つべきだと考えている。あくまでも順番の問題だと考えてほしい。それがヨゼフ・バルダスが引き起こしていた事態に対して、我々シルトラース帝国が果たすべき責務だという考えは揺るがない」
「……ならば、良いだろう。イダ、ヨゼフ両名について、我々エルフは一切の斟酌をするつもりはない」
グレイオンスは瞑目したまま、首肯した。
シグモル火山帯のひとびとは、顕現した――正確には神代よりしていたと思われる――火生の神、ボルガニスクをヨゼフの手で害された。消滅こそ免れたが、それさえなければ彼の神は眠りにつくことなく、今もなおシグモル火山帯で過ごしていたはずだ。その過程は、敬虔なる宗教者にとって、あまりに重い。
対して、フィルエス大森林においても、彼らの信仰と精神の中心とも言うべき世界樹をイダ・バルダスが冒し、ヨゼフの手勢が襲撃するという事態もあった。長らく世界樹を中心に引き起こされていた異変はイダによる尋常ならざる侵蝕が原因であったこと、世界樹そのものから世界の敵として指摘されたこともあり、不倶戴天の敵となっている。
「ま、そこがまとまったんなら良かったよ。……ところで、ドン・ゴーフル。アンタ、ちょっと勝手過ぎるんじゃないかい」
ヴィルジニア・テレーザ・セルッティ が半眼で言えば、沈思しながらもどこか上の空だったドン・ゴーフルはつまらなげに視線をやった。
「あのな。俺だって良かれと思ってやってンだよ。こうでもしねェとあの皇帝の真意だって読めねェだろうが……うちのアダムだって何度死にかけたことかしれねェよ。あァ、可哀想によォ」
「……この狸。殿下になにかあったらコトだろうに。事前に一言くらいあればこうは言っちゃぁいないよ」
「狐に言われたかねェな。いずれにせよ結果オーライじゃねェか」
弁論を交わすドン・ゴーフルの様子に、レイウェストはそっと、安堵の息をついた。彼にしては珍しく、精彩を欠いているように見えていたからだった。
――征竜はかつて、『崩堕の兆し』という言葉でドン・ゴーフルが異変をきたす可能性を指摘していた。
これまでの経緯を思えば、征竜や世界樹は『神に至る者』を特別警戒している気配がある。尤も、世界樹のそれはイダに直接危害を加えられたからこそかもしれないが――そんな状況でのドン・ゴーフルへの警句を征竜は告げていた。だからこそ、一蓮托生とゴブリンを預けられている代表としても、レイウェスト個人としても、ドン・ゴーフルのことを懸念していたのだ。レイウェストの目には、今のところ、大きく変調を来しているようには見えなかった。
「ふーむ」
険呑な空気になったヴィルジニアとドン・ゴーフル――つまりは、レイウェストを支持する二大首脳――のやりとりを阻むように、ウィリアム・リーンエスは満面の笑みを浮かべていた。
「どうかな。こと此処に至れば、目に見える形で結束は必要だと思わないかい?」
言葉に、ヴィルジニアとドン・ゴーフルの視線の温度が下がる。対してレイウェストは苦笑した。
「……つまりは、婚儀かな?」
「そうとも! うちのメアリーとの婚約でも一つ打てば、ヨゼフ・バルダスとの離別を示しつつ、王国 の後ろ盾が得られていることを帝国の民に示せるだろう? シルトラース帝国の今後を思うと、入る血は高きに越したことはない。どうかな。僕と義兄弟になるのは嫌かい?」
「貴殿には結構いろいろやらされているからなぁ」
「……おや、不快だったかな。まあ、メアリーはああ見えて結構強かで真面目で一途だから、殿下とも相性はいいと思っているよ」
ウィリアムの言は、事実上の属国化の提案である。リーンエス王国は一枚岩ではなく、王党派と貴族派はお互いの利益のために反目しあっている。その中で、シルトラース帝国を奪われずにレイウェストと血縁になることは、王家の戦略として最も安定した勝ち筋だった。供出できる血の濃さという観点で言えば、王家のそれは最も価値があることを踏まえると、貴族派からは太刀打ちし難い一手である。
現状が大陸レベルでヨゼフとイダの討伐で一致している以上、レイウェストを次代の皇帝とする向きは固い。となれば、王家のこの意向に対立し得る勢力は帝国を強く支持しているエラトゥーン都市同盟と、王国内部の貴族派勢力のみであるが、この場にそれを諫める邪魔者 もいない。
つまり、王家にとってこの場は絶好の機会であった。ウィリアムの提案は、何も突発的な事態ではなく――だからこそ、反駁の声はあがることとなった。
「ウィリアム王子。確かに結束は必要でしょうが、あまりに唐突に過ぎますわ」
「そうは言うが、遅いか早いかの違いでしかないだろう?」
ヴィルジニアが釘を刺すように言うが、ウィリアムは動じない。
「……いえ。時期尚早というのは、王国の状況を踏まえてもいますわ。リーンエス王国北部は今、未曾有の不作が続いていますね。そのような状況で、メアリー殿下の婚儀を早々に取り決められるとなると民は苦しみに喘ぐことになりませんか? お陰様でエラトゥーン都市同盟は前代未聞の好景となっていますが……そろそろ、品薄も目立ってきておりますから……」
レイウェストの耳には、『麦値上げするぞコラ』と言っているようにしか聞こえなかったが、ウィリアムはにこやかに「それは大変だねえ」と応じるのみであった。何時までも応酬が続きそうだったので、レイウェストは嘴を挟むことにする。
「ともあれ、婚約の話は少し、待ってほしい。これから先、帝国の不義がどの程度明らかになるかによっては、父上、母上のみならず、私も連座することになるかもしれない。そのような事態になった場合、メアリー殿下にも累が及ぶこともあるだろう?」
「……いや、流石に連座 は無いんじゃないかな……殿下以外の皇族が現れたら、話は別だろうけど……」
「……そうね。まあ、無いとは言えなさそうだけど……」
「いやしかし、あの父上のすることだ。母上も、もはや私の知る母上ではない以上、まだまだ掘れば出てくる可能性はあるだろう」
先日キーゼが告げていたように、帝国の動向は王国対それ以外、という代理戦争の様相を呈している。そのため、レイウェストの作戦は、自分たちの価値を貶めることで、軽々と決断できないという逃げの一手を打つことだった。
すると。
「その件についてだが」
思わぬところから声が上がった。視線がディズル湿地帯の首長、アシムベート・グリオウへと注がれる。黒鱗紅角のアシムベートは、周囲の面々を見渡すと、
「皆に、話がある。帝国崩壊以前の話だが、儂とヨゼフ・バルダスの間には、ある密約が交わされていた」
「……アシムベート殿と、父上の間で……?」
レイウェストの思考が巡る。アシムベートは、レイウェストの近衛騎士であったエフレムと昵懇の仲だった。そんな彼と皇帝との密約。急転といっていい事態だ。勿論、レイウェスト以外もただならぬ様子。そんな中で、アシムベートは堂々と告げた。
「時が来れば我らリザードマンと帝国が組み、リーンエス王国に攻め入るとするものだ」
「……なるほどなぁ」
多くが絶句するなか、ウィリアムは苦い顔をしながらも真っ先に頷いていた。
「どういう取引があったか、聞いてもいいかい?」
「……それは、言えぬ。ただ、我らリザードマンにとっては、十分に益するものであった。王国の一部が我らにとって仇なしていたことも事実ではあるが……何より重かったのは、此処数百年において、リザードマンにとって満足の行く戦場は無かったことだ」
理解されぬだろうがと添え、アシムベートは告げた。
「永遠に大陸が停滞するとなると、我らは困る。これでは、我らは永劫に竜になれぬ」
「……それは」
レイウェストは、それに是々非々を見出すことすら出来なかった。レイウェストは、彼の近衛を通じて、彼らにとって『竜になること』の意義を重々承知していたからだ。勿論、リザードマンには田畑での技量・精神の陶冶をはかる思想もあるが、多くは闘争を前提としている。況してや、リーンエス王国の政治形態や一部の政 は、湿地帯のそれとは大きく異なる。
「勿論、今は状況が異なるが……そも、これは儂の裡にのみ秘めていたことでもあった。個人的に王国を忌避するものはいただろうが、我らの総意ではない。尤も、最終的には攻め入ることにはなっていたろうな。帝国には、エフレムが居た」
「……最も竜に近い者として、だね」
「うむ。王国にも、我ら湿地帯にも、そのようなリザードマンは生まれなかった」
「そうだね……思想的にも、王国よりも帝国のほうがリザードマンのそれに近いだろうし、実績があったのも君たちにとっては大きいか」
ウィリアムが苦笑するに留まっていることにレイウェストは驚嘆せざるをえない。どういう肝の太さだ。
何はともあれ、ウィリアム自身が深く追求しなかったことで、この場の空気は一旦丸く収まりそうだと判断し、レイウェストは最後に一つ、疑問を投げかける。
「不明点はあるが、貴方たちリザードマンにとって――いや、此処はアシムベート殿、というべきか――何が利として見出され、密約に至ったかについては納得できたよ。ただ、一つ教えてほしい。これまで誼を交わしていた筈の皇帝を、貴殿個人が見限った事実は覆らない」
「……」
「帝国は確かに大きく衰退した。結果的に、貴方の望みは遠ざかったはずだ。にも関わらず、私たちを支持する理由は、貴殿にあるのか」
――それは、獅子身中の蟲となるや否やを間接的に問うたものだった。その意図を組んだ首脳は、静かに答えを待つ。
「……勿論、ある。帝国の現状は、我らリザードマンにとって勇武を発揮する戦場足り得る可能性があることが一つ」
言って、リザードマンは固く目をつぶり、澱んだ胸中ごと吐き出すようにして、こう結んだ。
「……もう一つは、エフレムだ。彼奴は、レイウェスト・バルダス個人に執着していた。当初は、状況が落ち着くまではと考えていたが――」
しかし、エフレム自身が下手人と分かり、レイウェストから離反した。
「至らぬ魂の友――エフレムの代わりに、これを儂が果たすべき責と考えているだけのことよ」
「……はあ。頭が痛くなる話だね。ええと、とにかくまとめようか」
一応、議長としてのヴィルジニアがこめかみに手を当てながら告げる。
「まず。ヨゼフ皇帝は、リーンエス王国を攻めるつもりで準備をしていたのは間違いないってこと。これは、アシムベートとの密約があったことからも事実と考えて良い。今はもう、完全に破棄されているし、アシムベート、アンタにもそのつもりはないってことさね?」
「相違ない」
「……しかし、エフレムとイダ皇妃の暴走によって帝都は崩壊。実質的な軍事力を喪失した帝国――つまり皇帝は、当初の計画を破棄せざるを得ず、逆転を狙って神の力を奪い、イダによる大陸の消耗と、征竜との衝突を待っている。事前準備がご破算になったけど、皇帝は依然、意気は軒昂ってことね。対してレイウェスト殿下は、これを待つわけにはいかないから、帝都への侵攻とイダ皇妃の討伐を狙う。征竜がこれを座してみることができるかどうかは――まあ、分かんないけれど」
ヴィルジニアは虚空に円をいくつか描いていく。それぞれ、イダ、皇帝、レイウェスト、征竜であろうか。そこに一つ、円を追加した。
「ここに、皇帝と組んでるであろうメドゥの指先が噛んでくると、事態はちょっとややこしい。収拾がつかなくなる場合、征竜も動くかもしれないし、多分皇帝は征竜は出てくると読んでいる可能性が高そうだ。ちなみに、レイウェスト殿下の話だと、征竜を討伐できるヒトがかつていた事になるから、今代の人類が討伐できないという保証はない。例えば、イダ皇妃、エフレム、ヨゼフ、指先の誰か……」
ややこしすぎるでしょ、とヴィルジニアは嘆息する。
「アシムベートのおかげで皇帝の執着が見えたのは朗報だけど、もっと早くに言ってほしかったねぇ」
「往時の帝国の状況を思えば言えぬとも。そうなれば結束どころか、今頃帝国は併呑されていただろう。この場で明らかにできたのも、皇帝に対する姿勢が明らかになったからこそよ」
アシムベートの応答に、なんとも微妙な空気が流れた。「真面目過ぎるのよ、アンタたちリザードマンは……」と、ヴィルジニアは胡乱げに吐き捨てたが、ともあれ。
「それじゃあ、次の議題に移ろうか」
と、進行することにした。これ以上、アシムベートは語らないだろう。婚儀の話が蒸し返されるよりも、早々に話題を進めたかったこともある。
首脳が集う機会は多くない。語るべきは、まだまだたくさんあるのだ――。
(執筆:ムジカ・トラス)
1222年、夏。月明かりが柔らかく落ちる暗夜であった。森の奥、開けた場所に、男――現シルトラース帝国皇帝、ヨゼフ・バルダスは独り立っていた。装いは戦場のそれ。征竜の頭骨から削り出した鎧具を纏い、長柄の得物も持つ。戦具はある。しかし、殺気や敵意は感じず、対峙するレイウェスト・バルダスはさらに一歩、足を進めた。
「お早い到着ですね、父上」
「会談という言葉を易く信じるわけもない。これくらいはする」
暗闘渦巻く皇位継承を勝ち抜いたヨゼフらしい一言だった。暗殺への警戒を隠しもしない皇帝と皇子の間には、張り詰めた緊張が横たわる。レイウェストに同道していた冒険者たちが即応の構えを崩さずにいると、皇帝はレイウェストの周囲に立つ冒険者たちを睥睨した。
「それは貴様も同じだろう」
「いえ。それは違います。父上は暗殺を恐れていたかもしれませんが、私は立ち会いを求めて彼らに同道してもらいました」
そう返すと、ヨゼフは興味を失したようにレイウェストを見やる。心の裡を見透かすような視線を、レイウェストは毅然と見つめ返した。
想起されるのは、これまでの道筋。そして、この日冒険者たちと交わした会話。故に。
「皇帝、ヨゼフ・バルダス」
レイウェストは、先手を取ることにした。
「今此処に、シルトラース帝国皇家の正統たる後継としてレイウェスト・バルダスが貴方の資質と真意を問う。民の足場を崩そうとする貴方の非道は、以て帝国に牙を向けるものに他ならぬ」
レイウェストはそこで、薄く笑みを浮かべた。
「私は此処まで民を護り、その暮らしを建て直してきた。而して貴方はどうだ。貴方の道は、果たして始祖たるイェーラウの御心に適うものか」
――ヨゼフの意図を詳らかにすること。
それが、この会談の目的だった。冒険者たちが言うように、共闘の道があるのならば良し。その足がかりも得られないとしても、この会談自体に価値を見出す。
「貴方の幻想に、私たちが付き従うに足る利はあるのか」
「……貴様が皇族として一定の価値を示したことは認めよう。しかし、あの蜥蜴に与した恥さらしが我ら帝国の国是を問うとはな。どうやら、王国の元で働くにつれ、道化としても長じたと見える」
「……征竜が我らを襲わぬのであれば、それもまた国是に適うものとなりましょう。況してや、この国難に助力を得られる可能性があるのであれば、その是非を、貴方に揶揄される謂れもない。尤も」
そこでひとつ、区切りを置く。
「貴方には今、敵が多い。征竜への盾を謳うには、力不足と言わざるをえないでしょう」
「……」
皇帝の沈黙を、催促と理解して。レイウェストは続ける。
「貴方から帝国を奪い去った母上とエフレム。敵国であるリーンエス王国。そして征竜。……あるいは世界樹も含みましょうか。これだけの敵に、貴方独りでは立ち向かうことができない。如何に火生の神の力を収奪せしめたといっても、貴方はまだ、それらに対して明確な敵対行動を取っていないことがその証だ」
ヨゼフの道は、レイウェストの道と大きく異なるものだと言って良い。レイウェストは半ば以上に恭順に近いかたちとはいえ、リーンエス王国と協調し、征竜からは印を頂き、その耳目となっている。結果として、帝国に反目し得る勢力の影響を抑止できている。
対して、ヨゼフのそれは困難極まるものだった。彼と、彼に付き従う勢力だけでは、そのいずれにも敵対者としては手札が足りていない。だから、続けた。
「だが、貴方には2つの味方がいる」
「――ふむ」
ヨゼフはそこで、微かに反応を示した。
「良かろう。冗長な口上に飽きていたが、そこまでは聞いてやる」
「一つは、時間だ。母上たちが大陸に齎す災いを看過すればするだけ、少なくともリーンエス王国は足場を失う。加えて、ことが限界まで及べば、征竜と母上たちが戦う未来も有り得る」
「道理だな」
肯定でも、否定でもない言葉。こちらは尤度の高い、ヨゼフ好みの合理的な戦略として解りやすい推察。
しかし、こちらは賭けだった。
「もう一つは」
ひたと、父を見つめる。
「メドゥの指先だ」
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「貴様も、そのぐらいの計算はできるか」
返った首肯に、レイウェストの視線に力が籠もる。
――何時から、どの程度という問いを留めることに、レイウェストは力を要した。対峙する者として不明を詳らかにするべき時ではないことくらいは解る。そのぐらいの腹芸はできるようになった。しかしそれは、皇帝の勝算と活動を後押しする要素として不可欠と見ていたもの。
対して、皇帝にとってはどうだろうか。それをレイウェストが知っているからといって、彼の方針は変わるまい。しかし、この場の議論の種にはなる。
「貴方は明確に国民の利益どころか大陸の安寧に反している。それを以て、帝国の元首としての適正を問うのは、当然のことだ」
「……ふむ。たしかに、理に適う」
頷きながらも、皇帝の視線に宿るのは明らかな疑問だった。
「そこまで理解しているのであれば、解っているはずだ。帝国の勝ち筋は余が神殺し、竜殺しを果たし、荒廃した大陸をその力を以て平定する他にないと」
「いえ」
皇帝からの明確な問い。
これにより、レイウェストは初めて対話の手応えを得た。故に、此処は押す。
「他にもある。母上を討ち、征竜と和解し、帝国の罪を購った後、再び帝国の繁栄を目指すのも一つの道だ」
「如何にして王国の干渉を退ける」
「困難であっても、やりようはあるはずだ。しかし――」
「それには余の首が要る」
「その通りだ」
「検討にも値しない愚考だな」
言いながら、しかし、ヨゼフは会談を打ち切ろうとはしなかった。レイウェストの予測では、ヨゼフはここで、レイウェストの言質を取りに来ている。レイウェストの思想と動向は、盤上の予測に役立つから。
――あるいは、それを固めるために、父上はこの場を受け容れたのだろう。
端から、血の通った会話などは望むべくもなかったのだ。
ともあれ、ヨゼフはこう続けた。
「貴様は、先ずあの女を討つ、か」
「……ええ。貴方が、その行く先に利を示せないのであれば、そこに民を付き合わせることはできない。況してや、貴方の行いにより、帝国の負債が更に積み上がるというのならば尚のこと」
「余がそこに介入すると予測した上での言か」
そこで、レイウェストは片手に浮かぶ征竜の紋章に視線を落とした。
「……ええ。歴史を見る限り、征竜が介入する可能性が最も高く、かの竜を討つとしたらその時が好機だ。だからこそ、貴方たちの道に、時間を与えることはできない」
「そうか」
皇帝の言葉は、そこで打ち切られた。聞くべきは聞いた――あるいは、聞かせるべきを聞かせたとも言うべきか。レイウェストは軽く瞑目した後、冒険者たちに対話を促したのだった。
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「……という結果になったよ」
レイウェスト・バルダスは居並ぶ面々へと告げる。会談を終えて数日後。リブラネスタの会議場には、各国の代表、あるいは首長が集うていた。
「……うーん。ヨゼパパ、ちょっと空気読めなさすぎじゃね?」
「今更じゃないかしら……?」
ドワーフ王、シグルランの顔を顰めながらの言葉は険に満ちているが、キサキ・アカネはそれを留めもしない。どちらかというと同情的な雰囲気で告げる二人に対して、シグモル火山帯から参じたオルグレイの表情は険しいままだった。
「結局のところ、協調を引き出す――というのは、レイウェスト殿下の真意ということでよろしいか?」
「可能であれば、だ。冒険者たちが触れていたように、皇帝が身につけている征竜の鎧が必要になる可能性はある。ただし」
応じたレイウェストはそのまま、グレイオンスに視線を転じた。
「私は、ヨゼフを討つべきだと考えている。あくまでも順番の問題だと考えてほしい。それがヨゼフ・バルダスが引き起こしていた事態に対して、我々シルトラース帝国が果たすべき責務だという考えは揺るがない」
「……ならば、良いだろう。イダ、ヨゼフ両名について、我々エルフは一切の斟酌をするつもりはない」
グレイオンスは瞑目したまま、首肯した。
シグモル火山帯のひとびとは、顕現した――正確には神代よりしていたと思われる――火生の神、ボルガニスクをヨゼフの手で害された。消滅こそ免れたが、それさえなければ彼の神は眠りにつくことなく、今もなおシグモル火山帯で過ごしていたはずだ。その過程は、敬虔なる宗教者にとって、あまりに重い。
対して、フィルエス大森林においても、彼らの信仰と精神の中心とも言うべき世界樹をイダ・バルダスが冒し、ヨゼフの手勢が襲撃するという事態もあった。長らく世界樹を中心に引き起こされていた異変はイダによる尋常ならざる侵蝕が原因であったこと、世界樹そのものから世界の敵として指摘されたこともあり、不倶戴天の敵となっている。
「ま、そこがまとまったんなら良かったよ。……ところで、ドン・ゴーフル。アンタ、ちょっと勝手過ぎるんじゃないかい」
ヴィルジニア・テレーザ・セルッティ が半眼で言えば、沈思しながらもどこか上の空だったドン・ゴーフルはつまらなげに視線をやった。
「あのな。俺だって良かれと思ってやってンだよ。こうでもしねェとあの皇帝の真意だって読めねェだろうが……うちのアダムだって何度死にかけたことかしれねェよ。あァ、可哀想によォ」
「……この狸。殿下になにかあったらコトだろうに。事前に一言くらいあればこうは言っちゃぁいないよ」
「狐に言われたかねェな。いずれにせよ結果オーライじゃねェか」
弁論を交わすドン・ゴーフルの様子に、レイウェストはそっと、安堵の息をついた。彼にしては珍しく、精彩を欠いているように見えていたからだった。
――征竜はかつて、『崩堕の兆し』という言葉でドン・ゴーフルが異変をきたす可能性を指摘していた。
これまでの経緯を思えば、征竜や世界樹は『神に至る者』を特別警戒している気配がある。尤も、世界樹のそれはイダに直接危害を加えられたからこそかもしれないが――そんな状況でのドン・ゴーフルへの警句を征竜は告げていた。だからこそ、一蓮托生とゴブリンを預けられている代表としても、レイウェスト個人としても、ドン・ゴーフルのことを懸念していたのだ。レイウェストの目には、今のところ、大きく変調を来しているようには見えなかった。
「ふーむ」
険呑な空気になったヴィルジニアとドン・ゴーフル――つまりは、レイウェストを支持する二大首脳――のやりとりを阻むように、ウィリアム・リーンエスは満面の笑みを浮かべていた。
「どうかな。こと此処に至れば、目に見える形で結束は必要だと思わないかい?」
言葉に、ヴィルジニアとドン・ゴーフルの視線の温度が下がる。対してレイウェストは苦笑した。
「……つまりは、婚儀かな?」
「そうとも! うちのメアリーとの婚約でも一つ打てば、ヨゼフ・バルダスとの離別を示しつつ、王国 の後ろ盾が得られていることを帝国の民に示せるだろう? シルトラース帝国の今後を思うと、入る血は高きに越したことはない。どうかな。僕と義兄弟になるのは嫌かい?」
「貴殿には結構いろいろやらされているからなぁ」
「……おや、不快だったかな。まあ、メアリーはああ見えて結構強かで真面目で一途だから、殿下とも相性はいいと思っているよ」
ウィリアムの言は、事実上の属国化の提案である。リーンエス王国は一枚岩ではなく、王党派と貴族派はお互いの利益のために反目しあっている。その中で、シルトラース帝国を奪われずにレイウェストと血縁になることは、王家の戦略として最も安定した勝ち筋だった。供出できる血の濃さという観点で言えば、王家のそれは最も価値があることを踏まえると、貴族派からは太刀打ちし難い一手である。
現状が大陸レベルでヨゼフとイダの討伐で一致している以上、レイウェストを次代の皇帝とする向きは固い。となれば、王家のこの意向に対立し得る勢力は帝国を強く支持しているエラトゥーン都市同盟と、王国内部の貴族派勢力のみであるが、この場にそれを諫める邪魔者 もいない。
つまり、王家にとってこの場は絶好の機会であった。ウィリアムの提案は、何も突発的な事態ではなく――だからこそ、反駁の声はあがることとなった。
「ウィリアム王子。確かに結束は必要でしょうが、あまりに唐突に過ぎますわ」
「そうは言うが、遅いか早いかの違いでしかないだろう?」
ヴィルジニアが釘を刺すように言うが、ウィリアムは動じない。
「……いえ。時期尚早というのは、王国の状況を踏まえてもいますわ。リーンエス王国北部は今、未曾有の不作が続いていますね。そのような状況で、メアリー殿下の婚儀を早々に取り決められるとなると民は苦しみに喘ぐことになりませんか? お陰様でエラトゥーン都市同盟は前代未聞の好景となっていますが……そろそろ、品薄も目立ってきておりますから……」
レイウェストの耳には、『麦値上げするぞコラ』と言っているようにしか聞こえなかったが、ウィリアムはにこやかに「それは大変だねえ」と応じるのみであった。何時までも応酬が続きそうだったので、レイウェストは嘴を挟むことにする。
「ともあれ、婚約の話は少し、待ってほしい。これから先、帝国の不義がどの程度明らかになるかによっては、父上、母上のみならず、私も連座することになるかもしれない。そのような事態になった場合、メアリー殿下にも累が及ぶこともあるだろう?」
「……いや、流石に連座 は無いんじゃないかな……殿下以外の皇族が現れたら、話は別だろうけど……」
「……そうね。まあ、無いとは言えなさそうだけど……」
「いやしかし、あの父上のすることだ。母上も、もはや私の知る母上ではない以上、まだまだ掘れば出てくる可能性はあるだろう」
先日キーゼが告げていたように、帝国の動向は王国対それ以外、という代理戦争の様相を呈している。そのため、レイウェストの作戦は、自分たちの価値を貶めることで、軽々と決断できないという逃げの一手を打つことだった。
すると。
「その件についてだが」
思わぬところから声が上がった。視線がディズル湿地帯の首長、アシムベート・グリオウへと注がれる。黒鱗紅角のアシムベートは、周囲の面々を見渡すと、
「皆に、話がある。帝国崩壊以前の話だが、儂とヨゼフ・バルダスの間には、ある密約が交わされていた」
「……アシムベート殿と、父上の間で……?」
レイウェストの思考が巡る。アシムベートは、レイウェストの近衛騎士であったエフレムと昵懇の仲だった。そんな彼と皇帝との密約。急転といっていい事態だ。勿論、レイウェスト以外もただならぬ様子。そんな中で、アシムベートは堂々と告げた。
「時が来れば我らリザードマンと帝国が組み、リーンエス王国に攻め入るとするものだ」
「……なるほどなぁ」
多くが絶句するなか、ウィリアムは苦い顔をしながらも真っ先に頷いていた。
「どういう取引があったか、聞いてもいいかい?」
「……それは、言えぬ。ただ、我らリザードマンにとっては、十分に益するものであった。王国の一部が我らにとって仇なしていたことも事実ではあるが……何より重かったのは、此処数百年において、リザードマンにとって満足の行く戦場は無かったことだ」
理解されぬだろうがと添え、アシムベートは告げた。
「永遠に大陸が停滞するとなると、我らは困る。これでは、我らは永劫に竜になれぬ」
「……それは」
レイウェストは、それに是々非々を見出すことすら出来なかった。レイウェストは、彼の近衛を通じて、彼らにとって『竜になること』の意義を重々承知していたからだ。勿論、リザードマンには田畑での技量・精神の陶冶をはかる思想もあるが、多くは闘争を前提としている。況してや、リーンエス王国の政治形態や一部の政 は、湿地帯のそれとは大きく異なる。
「勿論、今は状況が異なるが……そも、これは儂の裡にのみ秘めていたことでもあった。個人的に王国を忌避するものはいただろうが、我らの総意ではない。尤も、最終的には攻め入ることにはなっていたろうな。帝国には、エフレムが居た」
「……最も竜に近い者として、だね」
「うむ。王国にも、我ら湿地帯にも、そのようなリザードマンは生まれなかった」
「そうだね……思想的にも、王国よりも帝国のほうがリザードマンのそれに近いだろうし、実績があったのも君たちにとっては大きいか」
ウィリアムが苦笑するに留まっていることにレイウェストは驚嘆せざるをえない。どういう肝の太さだ。
何はともあれ、ウィリアム自身が深く追求しなかったことで、この場の空気は一旦丸く収まりそうだと判断し、レイウェストは最後に一つ、疑問を投げかける。
「不明点はあるが、貴方たちリザードマンにとって――いや、此処はアシムベート殿、というべきか――何が利として見出され、密約に至ったかについては納得できたよ。ただ、一つ教えてほしい。これまで誼を交わしていた筈の皇帝を、貴殿個人が見限った事実は覆らない」
「……」
「帝国は確かに大きく衰退した。結果的に、貴方の望みは遠ざかったはずだ。にも関わらず、私たちを支持する理由は、貴殿にあるのか」
――それは、獅子身中の蟲となるや否やを間接的に問うたものだった。その意図を組んだ首脳は、静かに答えを待つ。
「……勿論、ある。帝国の現状は、我らリザードマンにとって勇武を発揮する戦場足り得る可能性があることが一つ」
言って、リザードマンは固く目をつぶり、澱んだ胸中ごと吐き出すようにして、こう結んだ。
「……もう一つは、エフレムだ。彼奴は、レイウェスト・バルダス個人に執着していた。当初は、状況が落ち着くまではと考えていたが――」
しかし、エフレム自身が下手人と分かり、レイウェストから離反した。
「至らぬ魂の友――エフレムの代わりに、これを儂が果たすべき責と考えているだけのことよ」
「……はあ。頭が痛くなる話だね。ええと、とにかくまとめようか」
一応、議長としてのヴィルジニアがこめかみに手を当てながら告げる。
「まず。ヨゼフ皇帝は、リーンエス王国を攻めるつもりで準備をしていたのは間違いないってこと。これは、アシムベートとの密約があったことからも事実と考えて良い。今はもう、完全に破棄されているし、アシムベート、アンタにもそのつもりはないってことさね?」
「相違ない」
「……しかし、エフレムとイダ皇妃の暴走によって帝都は崩壊。実質的な軍事力を喪失した帝国――つまり皇帝は、当初の計画を破棄せざるを得ず、逆転を狙って神の力を奪い、イダによる大陸の消耗と、征竜との衝突を待っている。事前準備がご破算になったけど、皇帝は依然、意気は軒昂ってことね。対してレイウェスト殿下は、これを待つわけにはいかないから、帝都への侵攻とイダ皇妃の討伐を狙う。征竜がこれを座してみることができるかどうかは――まあ、分かんないけれど」
ヴィルジニアは虚空に円をいくつか描いていく。それぞれ、イダ、皇帝、レイウェスト、征竜であろうか。そこに一つ、円を追加した。
「ここに、皇帝と組んでるであろうメドゥの指先が噛んでくると、事態はちょっとややこしい。収拾がつかなくなる場合、征竜も動くかもしれないし、多分皇帝は征竜は出てくると読んでいる可能性が高そうだ。ちなみに、レイウェスト殿下の話だと、征竜を討伐できるヒトがかつていた事になるから、今代の人類が討伐できないという保証はない。例えば、イダ皇妃、エフレム、ヨゼフ、指先の誰か……」
ややこしすぎるでしょ、とヴィルジニアは嘆息する。
「アシムベートのおかげで皇帝の執着が見えたのは朗報だけど、もっと早くに言ってほしかったねぇ」
「往時の帝国の状況を思えば言えぬとも。そうなれば結束どころか、今頃帝国は併呑されていただろう。この場で明らかにできたのも、皇帝に対する姿勢が明らかになったからこそよ」
アシムベートの応答に、なんとも微妙な空気が流れた。「真面目過ぎるのよ、アンタたちリザードマンは……」と、ヴィルジニアは胡乱げに吐き捨てたが、ともあれ。
「それじゃあ、次の議題に移ろうか」
と、進行することにした。これ以上、アシムベートは語らないだろう。婚儀の話が蒸し返されるよりも、早々に話題を進めたかったこともある。
首脳が集う機会は多くない。語るべきは、まだまだたくさんあるのだ――。
(執筆:ムジカ・トラス)