【DA】リーンエスの耳

メアリー・リーンエス

わたくし達のことは、すっかり大陸中に知れ渡ったようですわね。もう後戻りできませんわよ、レイウェスト殿下。

レイウェスト・バルダス

わかっています、メアリー王女。……しかし、貴国の貴族――特に貴族派にとっては都合が悪いのではないですか。

メアリー・リーンエス

そうでしょうね。あわよくば帝国の土地を我が物としたい貴族にとっては、悪い報せに違いありませんわ。ですが、彼らに口を挟める余地がないのも事実。

レイウェスト・バルダス

……貴女の身を案じています。儀式まで、何事も起きなければ良いのですが。

メアリー・リーンエス

そうですわね……。
わたくしはそろそろ公務に戻ります。夏にまた、お会いしましょう。レイウェスト。

リーンエス王国とシルトラース帝国の今後に関わる重大発表があったようです――

●リーンエス王国 首都グランスパーダ
 柔らかな風が渡り、春の花咲く王都。吸血鬼(二コラ・ゴルティエ元侯爵 )の襲撃に揺れた激動の時期を越え、ようやく華やぎを取り戻した街を、一台の瀟洒な馬車が横切っていく。
 わずかに開けた小窓からの風に長い黒髪を揺らしながら、シルトラース帝国皇子レイウェスト・バルダスは、赤い瞳にぼんやりと王都の街並を映していた。

 (……バルディオン)

 ヴィントを発った朝の、物言いたげな――しかし何も言わずに送り出してくれた賢猪将軍の顔が脳裏を過る。

 (コンラートが聞けば、何と言うだろうか)

 情けない皇子だと、頭を抱えるのだろうか。
 北方将軍の眉間に皺が寄る様を想像しながら、レイウェストはゆっくりと瞼を閉じた。

 ――すまない。

 誰にともなく呟いた言葉は、春の風に揉まれて消える。
 馬車は真っ直ぐ、白き王城を目指していた。

●王城
 今はキャサリン王妹が管理しているという温室は、燦燦と降り注ぐ陽光を受けて楽園のように暖かい。
 リーンエス王国国王ジョージ四世への謁見を無事に終えたレイウェストは、胸の内に秘めた空虚な闇を表に出さぬまま、出された紅茶に口をつけていた。

「君の立場ではこうするしかない。けど、悪い話じゃないだろう?」
「ああ……わかっている。ウィリアム王子」
「僕の可愛い妹を預けてもいいと思うくらいには、君を買っているんだよ。……次期皇帝としてね」

 対面に座した第二王子ウィリアム・リーンエスは、いつも通り爽やかな微笑みを浮かべたまま、青い瞳の奥に鋭い光を灯す。

 シルトラース帝国唯一の皇子レイウェストと、リーンエス王国唯一の王女メアリーの婚姻。

 今日、国王の前で同意したそれがどんな意味を持つのかなど、帝王教育を受けていないレイウェストにも容易に理解できる。
 リーンエス王家とバルダス皇家は姻戚となり、レイウェストは王国という強大な後ろ盾のもとで帝都奪還と父ヨゼフ帝の廃位を目指すことになるだろう。それらを成すに足る兵力も、民を食わすに足る食糧も、王国は惜しみなく支援するに違いない。そしてレイウェストは皇帝となり、やがてリーンエス王家の血を引く子が次代の皇帝となるだろう。

 王国に差し出せる対価を持たない現在の帝国にとって、この婚姻はまさに、属国化を意味する。

「龍逓架(りゅうていが )の騒ぎもある。都市同盟の追及をかわす意味でも、良いタイミングだと思うよ」

 ウィリアムの言葉に、ただ無言で頷きを返すレイウェスト。
 父帝ヨゼフが王国侵攻を企てていたことは、既に周知の事実だ。さらに、その目的のために開発させていた即時通信装置『龍逓架』が幽界樹の分樹を呼び、被害を拡大させた。幽界樹により北部が不作に陥った王国は、帝国国内を除けば最も大きな被害を受けていると言える。
 メアリーとの婚姻は、それら父帝の不始末も不問にする条件として提示された事だろう。
 一方で、メドゥの指先により龍逓架を用いた脅迫を受け、大都市間での紛争すら懸念されているエラトゥーン都市同盟は、国内の状況が片付き次第、帝国を――レイウェストを糾弾するはずだ。
 その際に王国との強固な結びつきを得ていることは、レイウェストにとって有効な盾になる。

「しかし、婚姻によって王国と都市同盟のバランスが崩れかねない。同盟の支援なくして、帝都奪還は成し得ないのではないか」
「彼らだって、いずれ大陸のエーテルを吸いつくすと言われる幽界樹をそのまま放置するはずがないさ。王国と事を構える気はないだろうし、帝国が復興すれば同盟との交易も盛んになる。女狐さん(ヴィルジニア )がリブラネスタ市長である限り、帝国から手を引くような馬鹿はやらないよ」
「だが帝国の国土はまだ荒れ放題だ。貴方にしても、可愛い妹君を送り出したい場所ではないだろう」
「どうかな。僕も帝国の状況が落ち着けば、公爵に叙されるか白薔薇に婿入りするかで王家を出るだろう。反逆者達のお陰で王家直轄領も随分増えているし……もし公爵位と領地を得たなら、この王国の勢力図を変える存在だ。ともすれば、帝国のほうが安心して暮らせるかもしれないよ」

 ともあれ、と両手を叩いて、ウィリアムは立ち上がった。
 にっこりと笑って指し示した先には、橙のドレスに身を包んだ小柄な姫が立っていた。

「夏の婚約の儀までは、まだ内定でしかないけどね。さあ、後は若い二人でゆっくり未来を語り合うといいよ。年寄りは退散するとしよう!」
「ウ、ウィリアム王子……貴方という人は……!」

 ウィンクして颯爽と去っていくウィリアムの背中を恨めしそうに見送りながら、レイウェストも慌てて立ち上がる。
 メアリーの優雅なお辞儀(カーテシー )に礼を返し、空席を勧めた。

「お会いするのは初めてですわね、レイウェスト殿下。どうぞ気軽に、メアリーとお呼びくださいませ」
「本来なら私からご挨拶に伺うところ、失礼しました。では私の事も、レイウェストと」

 レイウェストが思っていたよりも、メアリーは幼い印象の姫だった。
『王家の耳』を束ねる才女と聞くが、こうして会ってみれば、婚約などまだ早いのではないかと首を傾げてしまう。
 他愛もない世間話の後、レイウェストは彼女の本心を尋ねることにした。

「メアリー……王女、貴女はこの婚約について納得されていますか。今の帝国は昔のそれではない。やっとの想いで取り戻した土地には、村すらもまばらです。腹を空かせた民が粗末な家で寒さを凌ぎ、国土の半分は未だクリーパーが闊歩する魔境。とてもではないが……王家の姫が暮らして良い国ではありません」
「……あら。逆賊(レギンレイヴ侯爵 )の城へ剣を持って乗り込む女に、それを仰りますの?」

 ティーカップを置いてクスクスと、メアリーは笑った。

「ですが……貴女には、心に秘めたお相手などは居ないのですか」
「まあ。大胆ですわね。……憧れることはありましてよ。わたくし、純愛至上主義者ですの。父と母は大恋愛の末に婚姻いたしましたもの、お兄様(王太子 )もそう。わたくしだってロマンスのひとつやふたつ、経験したいものですわ」
「では……」

 口を開きかけたレイウェストを、メアリーの視線が止める。兄(ウィリアム )によく似た鋭い光を、その目に宿して。

「ですが、それとこれとは別です。わたくしだってレイウェスト殿下の想い人には興味が――いえ、仮にいらっしゃった場合、側室を娶るななどと無粋なことは申しませんわ。安心してくださいまし」
「そ、側室……!? メアリー王女、そのような話ではなく……」

 ピシャリ、と。メアリーの手元で、扇が音を立てて置かれた。
 優雅な微笑みを浮かべたままで、メアリーはレイウェストの瞳をじっと見つめる。

「貴方のお母様……大陸一の美姫と謳われたイダ妃がお兄様(王太子 )の元へ嫁がなかったのは、開戦を見越して人質にさせないためだったのかしら。まあ、別の理由があるのかもしれませんけれど」

 イダ。その名を聞いて、レイウェストの心臓が跳ねた。
 海のように青いメアリーの瞳が、欠片も揺らぐことなく赤瞳を向いている。

「イダ妃が築くことのなかった両国の繋がりを、わたくしが代わりに築こうと言っているのです。貴方に選択肢があるとお思いかしら、レイウェスト殿下?」
「……メアリー王女。貴女は、やはりウィリアム王子の妹ですね」
「誉め言葉として受け取っておきますわ。お互い無事に婚約の儀を迎えられるとよろしいわね」

 メアリーはスッと小さく息を吸い、兄とそっくりな表情で二コリと笑ってみせた。

「わたくしの夫におなりなさい、レイウェスト」

●
 1223年4月。
 シルトラース帝国皇子レイウェスト・バルダスとリーンエス王国第一王女メアリー・リーンエスの婚約が内定。
 今夏の儀式をもって正式な婚約と成すことが、王都グランスパーダで発表された。


 執筆:桃谷かな
アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0